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5. 境界線

最近、「境界線」という概念が紹介されてきています。

 

これは人間関係に関する理解の仕方で一言で言うなら自分の責任範囲と他者の責任範囲との区別をつけるということになります。

もう少し説明を付け加えるなら聖書的な意味において自分の取るべき責任、取らなくて良い責任を明確にするということになります。

 

このあたりが混乱していますと自分自身が受け止めなければならない責任を転嫁して他人のせいにしたり、自分が受け止める必要のないあるいはその余裕が無い中で他人が取るべき責任を自分が勝手に背負い込むということになりかねません。

 

近く結婚を考えているA姉はこれまでお母さんと二人で生活をしてきました。

結婚相手はお母さんが元気なうちは自分たちと母親とが別々に暮らすことを願っています。

ところがお母さんは娘夫婦との同居を願っています。

 

そんな板ばさみの中でAさんは悩み、解決策を求めて鬱状態になっていました。

何故、鬱状態になっているかと言いますと両方とも満足させる答えは無く、どちらかを選ばなければならないからです。

鬱状態の一つの特徴は「選べない」ということです。

選ぶということは他を諦めるあるいは失うことになりますからそうしたくないのです。

 

こんなアドバイスをしてみました。「確かに娘であるあなたと離れるとお母さんは非常に悲しむことになるでしょうね。

でも悲しく辛い感情であってもそれはお母さんのものなのです。

悲しい気持ちに共感してあげることは良いとしてもお母さんの持つ感情に対してあなたが責任を取る必要はないのではないでしょうか」

 

結果的にA姉は結婚し母と別々に暮らしながら以前とは違った意味で良い関係を保っています。

もしも、そのような決断をしなかったら、つまり母親の持つ感情の責任を取り続けていたら将来ずっと母親の持つ感情次第で罪悪感、孤独感、無力感等を感じることになったかもしれません。

 

ただそうは言いましても境界線を明確にするには結構勇気を要する場合が出てきます。

相手の要求にNO!と言うことですから言われている方は嫌な感情を持つ可能性が高いからです。

さらに大切なのはこれが責任回避のための手段にならないようにということです。

ですから相手との親密な信頼関係、絆が保たれていることと一緒に境界線を考えてみる必要があります。

 

「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全とうしなさい。・・

・・人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです」(ガラテヤ6:2、5)