現代は心の病や心の問題について大きく取り上げられる機会が度々あります。
教会やクリスチャンもまた心の病や問題について理解や受け止め方がよく議論されるようになってきました。
このコーナーでは「心の病や問題に対してクリスチャンはいかにあるべきか?」と大上段に構えるのではなく少しでも心の病や問題について理解を深め、その問題で苦しんでいる方々への助けとなればという思いで筆を進めたいと願っています。
それにしましても、心の病や問題を抱えている方によく起こってくる思いは「人生に遅れを取った」、「人生の回り道をしている」と言った否定的な感情です。具体的には孤独感、罪悪感、悲しみ、怒りといったことでどれもとても辛い感情です。あたかも、自分の人生にあってはならない事柄のように捉えがちです。心の病や問題は目に見えない部分が大きいのでなおさら厳しいものがあります。
ところで聖書が示す私達の成長とは何でしょうか?
それは一言で言うなら、創造主なる神であり救い主なるイエス・キリストを深く知るということではないでしょうか。
極端な言い方をするなら、目に見えてバリバリと仕事や奉仕が出来ているけれども創造主なる神がどこかに行ってしまっている人と辛い感情で身動き出来ない中で深い神様からの慰めを体験したり、神に生かされている自分に気づいた人とどちらが成長していると言えるでしょうか。
考えてみれば物事があまりにもうまく行っているので主イエス・キリストを信じたという人よりも大変な問題や心の痛みを抱えている中で主を信じた人の方が圧倒的に多いと思うのですが如何でしょうか?
神様は様々な方法で成長させて下さいます。時には辛い心の病や問題を通してもです。
本人にとって事柄はそう単純に割り切れるものではないと思います。
それでも神様は「人生に遅れてなんかいない。むしろ成長しているのだ」と語って下さっています。
これがキリスト教世界観、キリスト教人生観です。
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