耳が聞こえず舌の回らない人がイエス様のもとに連れて来られました。
イエス様はこの人に対して、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられました。
するとこの人は聞こえるようになり、話せるようにもなりました。この癒しは特殊と言えば特殊ですがイエス様は千差万別、一人一人にあった癒し方をされました。
イエス様は「エパタ」アラム語の言葉で、「開け」という意味の言葉を言われました。
すると耳が開いて、舌のもつれも解け、この人は話すことが出来るようになったのです。
このイエス様の「開け」という言葉は、出来事を起こす神の言葉です。
神様が天地を造られた時、「光あれ」と言われると光があったように神様は言葉と共に、言葉によって創造の御業を為されたのです。
考えてみると耳が聞こえない人に「開け」と言っても聞こえないのではないかと思う人がいても当然です。
しかし、イエス様のことば、神のことばは届くのです。
あのすでに死んでいたヤイロの娘に「タリタ、クミ」(少女よ、起きなさい)と言われたことも同じです。
神のことばはどこまでも届くし、力があるのです。
「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」ヨハネ6:63 とあるように神のことば、キリストのことばは人を癒し、回復させ、新しいいのちを与え、創造の御業を生み出す力を秘めているのです。
ここで癒された人も周りにいた人も口止めされても、押えがたい主への賛美が起こってきたこともまた創造の御業です。
キリストのことばは癒し、救い、全てを新しくするのです。
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