今日の箇所は小見出しに「富める青年の話」として紹介されます。彼は裕福なだけではありません。
真面目に人生の真理を求め、社会生活においても律法を忠実に守っている模範的な青年でした。
その青年をしても永遠のいのちを得ること、神の救いに関しては答えを得ることは出来ませんでした。
主イエスこそ、解決の鍵を握っていると思い、教えを請いに主イエスのところにやってきました。
主イエスに教えを請う姿勢も謙遜そのものでした。
しかし、そこで最後に主イエスが出されたことば
「帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。」は
青年にとっては度肝を抜かれるようなことばであり、そのことばに落胆と悲しみを覚えてその場を立ち去るしかありませんでした。
絶望のうちに彼は主イエスのもとを立ち去ったのです。
主イエスは何故そのようなことをおっしゃったのでしょうか?
鍵になるのは主イエスが彼を見つめて、
「いつくしんで」言われたということです。
この「いつくしんで」は「愛する(アガペ)」ということばが用いられています。
主イエスは同情ではなく、この青年を愛して言われているのです。
神の愛とは無条件の愛のことですが、徹底してその人のためになることをしてあげるということとも言えます。
この青年は努力し、尊い良い行いをすることによって永遠のいのちを得ようとしています。
それを否定されているわけではありませんがその先に永遠のいのち、救いは無いことを主イエスは教えようとされているのです。
主イエスは十字架への道を今歩んでおられます。
それは私たちの救いのための十字架です。
救われるために尊い行いを続けていくなら、どこまで行っても足りない思いに駆られます。
主イエスは十字架の恵みに感謝して喜んで生きるようにと教えておられるのです。
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