今日の箇所で語られているのは、主イエスがエルサレムに到着し、その町に入られたということです。
ガリラヤ地方で伝道を開始してからおよそ三年が経っていましたが、主イエスはいよいよ、ユダヤ人たちの信仰の中心地であるエルサレムに来られたのです。
主イエスがエルサレムに到着なさったというのは、他のどこかの町に着いたのとは根本的に意味の違う、特別な出来事です。
マルコもこれを特別なこととして語っています。
子ろばに乗った主イエスは人々が敷いた服や枝の上を歩いていかれました。
人々が「ホサナ、ホサナ!」と歓声をあげました。
これらのことは想定外の出来事ではありません。
むしろこのような形でエルサレムの町に入ることは主イエスが意図されていたことだったのです。
どうして主イエスはこのような入場の仕方をされたのでしょうか?
それは先ずゼカリヤ書9章9~10節の預言の成就であったということです。
この時550年近くも前になされた預言が成就するということも驚きですが預言の成就と共に、そこに出てくる「ろばの子」とは平和のしるしとして書かれています。
「この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。」
神様から遣わされるまことの王は、力によって王となるのではないのです。
ろばの子に乗ってのエルサレム入りは、主イエスが十字架の苦しみと死へと向かう受難の始まりであり、その道を歩まれた主イエスに、父なる神様が復活という勝利を与えて下さり、主イエスを神の民のまことの王として立てて下さって終わります。
「ホサナ、ホサナ!」と叫びながら主イエスの前に後ろに歩んだ民のように私たちも平和の主イエスをほめたたえながら平和の主イエスと共に歩んでゆきたいと願わされます。
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