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「神のものを神に返す」 マルコの福音書 12章13〜17節

ここに語られているのはまさに主イエスの最後の一週間の出来事です。主イエスを殺してしまおうと思っている人々が、その言葉尻を捕えて陥れ、訴える口実を得ようとしていろいろなことを語りかけてきました。パリサイ人とヘロデ党の者、いつもは反目し合う両者がここでは協力して主イエスに挑戦してきます。神への敵対心において一致できるのが人間の罪の特徴です。

彼らは「カイザル(ローマ皇帝)に税金を納めるべきか、納めるべきでないのか?」という陰険な問いかけを主イエスに投げかけます。ところが主イエスは「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と見事な答えを出され、彼らは反論できず、むしろ驚嘆したというのです。主イエスの語られた主旨は全てのものは神から来ているので神に返すのは当然である。しかし、この世で生きる限り、納税に示されるようなこの世の権威・権力も明らかに悪いものでない限り、それを受け入れ従うことも大切であるというのです。信仰生活と社会生活と分けて二重の生活を送るのではなく、信仰者として神に対する責任を果たすことの中で同時に人間の社会の仕組みの中でも責任を果たして生きることが大切ということです。

ただクリスチャンがそのように生きようとする時には必ず葛藤が起こってきます。判断に迷うことも多々あるでしょうし、人によっても対応が異なります。そのような中で私たちは、信仰による苦しみを背負っていくのです。主イエスご自身がまさにそのように歩まれました。冤罪の極みとも言える十字架刑はこの世の権力の一つの表れです。それを無力、無効なものにする力と権威をお持ちの主イエスが十字架刑に服されたのです。何故でしょう?それは一重に私たちの救いのためです。それだけです。それが神の愛なのです。


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メッセージ内容(2018年7月8日)
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