食事の席に着いておられた主イエスのところに、一人の女性がやって来て、主イエスの頭に、高価なナルドの香油を注ぎかけた箇所の話しです。彼女のこの行為に対して強い非難と批判が起こりました。
「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」といったことばです。
それはある意味、もっともな意見であり、正論とも言うべきことばに違いありません。
また主イエスも彼らの意見を真っ向から否定されているわけではありませんし、この女性のしたことが完全に正しいなどとも言っておられません。
その上で、主イエスは「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。」と言われるのです。
「この人のしていることも、見方によってはいろいろな問題があるだろう、欠けもあるだろう、しかし、そういうことを指摘し、ケチをつけてこの人を困らせないでやってほしい。何よりもこの人が心を込めて精一杯している奉仕を受け入れてほしい、そしてそれを共に喜んでほしい」それが主イエスの思いなのです。
この香油を注いだタイミングはまさに十字架に主イエスがおかかりになる前日のことであり、主イエスも「彼女は埋葬の用意をしてくれた」と言われました。
しかし、だからと言って彼女がそこまで意識していたとは思えません。
彼女はただ主イエスのために自分のその時できる最高のものを捧げたということが事の真相でしょう。
しかし、主イエスは私たちの拙く未熟な精一杯の奉仕を、主イエスへの愛、献身、奉仕を、十字架につけられて死ぬご自分への愛、献身、奉仕として受け止めて下さるのです。私達の奉仕をご自分の救いのみ業と結びつけ、その救いへの応答として繋げて下さるのです。
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