パウロは、ピリピ教会の人々に「同じ思いとなる」ようにと勧めています。
1節に「こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」とあります。
ここで「同じ愛の心を持ち」と言うのは、同じ神の愛を受けた者として互いに愛し合うということです。
さらに、「心を合わせ、志を一つにして」と言う言葉には、一つの心となって戦うと言うニュアンスがあります。
そのような深い一致が語られているのです。
私たちは、ここで語られているように同じ思いとなることができたらどんなに素晴らしいだろうかと思わされるのではないでしょうか。
そのように思うのは、私たちが、同じ思いとなることの難しさを良く知っているからだと思います。
私たちの人間関係は、同じ思いとなることが出来ないことによる、対立や、いざこざに満ちています。
それは、地上に建てられた全ての教会の現実でもあります。
教会も又、人々が集まる場所であり、教会の交わりの中で、様々な人間関係の問題が生じます。
そのような教会に向かって、「同じ思いとなる」ようにと語られているのです。
神様が示されているのは様々な主張や人間的思いによって、人間が自分たちの力によって「同じ思い」となろうとするのではなく、それぞれが、様々な主張や、人間的な思いをもっているにせよ、キリストを示され、キリストに倣う時、そこには、キリストの前にへりくだると言うことにおいて「同じ思いとなる」共同体が生まれるのです。
最後はキリストの前に共にへりくだることが出来るかどうかにかかっています。
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