先月は弟息子、いわゆる放蕩息子の箇所を取り上げましたが今回は後半の兄息子の方を取り上げます。
兄息子はいつものように畑仕事を終えて帰ってくると、行方知れずだった弟息子が戻ってきていて、それを家中で祝っているのを知り、怒りを露わにしました。
それは当然、父親も周りも兄息子の方が弟息子より価値があり、そのことが様々な形で表されると思っていたのに、それを裏切るようなことが起きていることに憤りを覚えたからです。
自分勝手なことをして親に心配と迷惑をかけ、あげくの果てに行くところなく家に戻っているにもかかわらず、そんな弟息子の帰還を家をあげて祝っていることにどうしようもない怒りを覚えたのです。
私たちもその光景を思い浮かべるなら「兄息子の怒りも無理はない」と理解を示すことでしょう。
ただ、本音では兄息子の心の中を察するに「こんなことなら、家で真面目に仕事なんかしてられるか」という思いではなかったでしょうか。
つまり弟は目に見える形で、体ごと父に背いていますが、兄は、体は留まりつつ、心は同じように父に背き、父のもとから離れ去っているのです。
父は兄息子をなだめ、祝宴に加わるように勧めます。
興味深いのはこの時点では、家(神の国)にいて父(神様)のそばにいるのは弟であり、正義を盾に「あんな奴と一緒にしないでほしい」と言っていた兄は家の外にいるということです。
この後、兄息子が家に入ったか、「それなら俺も家を出て好き勝手に生きる」となったかまでは書かれていません。
ただ父(神)は兄も弟も自分のもとに帰ってきて欲しいのです。
すべての人のための十字架なのです。
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