ルカによる福音書は、主イエスの十字架の死の場面において、共に十字架につけられた二人の犯罪人に注目しています。
そしてこの二人が、主イエスに対して正反対の態度を取ったことが語られています。
一人は主イエスをののしり、「あなたはキリストではないか。
自分と私たちを救え」と言いました。
もう一人はそれをたしなめて、
「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」と言い、
主イエスに「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言ったのです。
どちらも十字架に架けられているわけですから、一方が善良な者で、もう一方が極悪人だったわけではないでしょう。
しかし十字架につけられつつ
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
と祈るイエスの姿に、神様の前で何の罪もない方、神を心から父と呼ぶことができ、その父に自分を十字架につける者たちの罪の赦しをも願うことができるまことの神の子を見たのです。
そしてその罪のないまことの神の子が、自分と同じ十字架の刑罰を受けておられる、その驚くべき事実に触れた時、そこに神への深い恐れが生じたのです。
救いを願うことなどとうていできない者だけれども、「私を思い出してください」と願うことができる、その一筋の希望の道が自分の前に開かれていることを彼はこの十字架の上で見出したのです。
まことの神との出会いこそ信仰の原点なのです。
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