私たちは交わりの中で成長してゆくように造られています。
そしてその交わりが良いものであればあるほど成長できます。
交わりとは人と人とのつながりのことですが良いつながりを持つためには赦しが必要です。
赦しは人と人の関係を深めるためには重要な要素です。
ですから私たちは、絶えず人を赦し、また人からの赦しを受け取っていく必要があります。
逆に憎しみ、反発、恨み・・こういった赦さないことから出てくるものは人と人との関係を薄め、遠ざけるものとなり、近づけることはありません。
さらに人を孤立させます。
主イエスも「主の祈り」を弟子たちに教えられた時に、これだけは人間が成長するうえで重要なものだけを短く主の祈りにまとめられました。
「主の祈り」には私たちが人生を過ごしていくために必須の要素、エッセンスが入っています。
主の祈りにおいては前半部分は神様と自分との関係のことについて言われています。
人間のことについては「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と日ごとの糧についての祈りがあり、その次に「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」とあります。
人間関係に関してはこの箇所だけです。
これは赦しがいかに人間関係つまり交わりにおいて重要な要素を占めているかを表わしていると理解できます。
本日の箇所は主イエスのたとえ話しですが、その前に主イエスとペテロの赦しに関しての問答があります。
ペテロはどれぐらい自分は人を赦せば良いのかという視点に立ちます。
しかし、主イエスの視点は「どれぐらい赦せるか?」ではなく「どれほど赦されていることが分かっているか?」です。
人は神と人に赦されていることが分かって、人を赦すことが出来るのです。
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