神様は私たちを自分自身の枠を超えて他の人々のために生きる者として造られました。
またそのように生きないと自分自身この世に存在している意味も分かりません。
自分の中をいくら掘り下げて考えてみてもそこから答えは出てきません。
人生はあなたが中心ではありません。
主イエスによれば、キリストのいのちを体験したいと願うならば、自分ではなく相手を優先しなければならないことが教えられています。
他の人を優先させるとは、キリストのからだ、つまり教会全体の最善を考えて自分自身を犠牲にすることとも言えます。
聖書はさらに人を優先させ、自分自身はあえて裏方に回るようにも勧めています。
“兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。”(ローマ12:10)
私たちは誰しも成長することを願っています。
キリストの良き弟子でありたいと願います。
そのために主イエスは互いに優先し合い、裏方に回るようにと勧めています。
今日の箇所の弟子たちの気持ちもやはり良い弟子、立派な弟子になりたいというものだったと思います。
しかしながら結果的には誰が一番偉いかということで大喧嘩となったのです。
何が問題なのでしょうか? どうすれば良いのでしょうか? 結局、私たちの物の見方、考え方が変えられる必要があるわけですがそれは途方もない難題です。
そのために私たちはキリストの力により頼み、キリストの力を得なければなりません。
パウロは “キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい”(エペソ5:21)とヒントを与えてくれています。
相手を優先させる力を得る鍵は、私たちの心がけや意志力ではなくキリストを敬うことにあるのです。
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