今日は敬老の日です。
私たちの教会も例年、この日午後にシャローム感謝食事会の時を持ち、先輩のクリスチャン、またご高齢の方々に敬意をあらわし、神の祝福を祈り、主にある交わりの時を持ちます。
年齢が高くなってもお元気な方をテレビやラジオでネットニュースでよく紹介されますし、それは素晴らしいことだと思います。
とは言え、肉体は年齢とともに衰えていきますから、からだをいたわることも忘れてはならないと思います。
今朝の伝道者の書12:1-7にもからだが衰えてゆくことが比喩的に書かれています。
それを読むと段々と心細い思いになりますが聖書には「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(コリント第二4:16)という言葉もあって、キリストを信じる者たちは、神からいただいた新しい命によって外側は衰えても内側はいつも新しくされていくとあります。
感謝なことです。
また今日の箇所には比喩的な表現だけでなく、人の人生の最後にくる死に関しては比喩ではなく直接的な表現がなされています。
死がどの人にも避けることのできない現実であることを、はっきりと示すためです。
そして最後には老年の衰えや死について克明に描かれてきた理由が書かれています。
それは最終的に創造主なる神を覚えるためです。
つまり、この世における生き様、歩みのすべての総決算の時として神の前に出ることを覚えておくということです。
そして堂々と創造主なる神の前に出る道はただ一つ、主キリストを信じることであると聖書は教えています。
今日の、この時が、私たちの創造者を信じる日、キリストに従う時であるよう、心から祈ります。
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