主イエスの母マリヤは「神の母」と呼ばれ、昔から人々の注目の的でした。ある時代や、ある地域では、それが行き過ぎて迷信的なものになったこともありました。マリヤが主の母となったのは、「おめでとう、恵まれた方。」とあるように神に祝福されてのことでした。
マリヤは「神の母」「主イエスの母」とは呼ばれても、「母なる神」としては扱われてはなりません。マリヤは私たちと同じ人間であり、イエスの母になったからといって特別な存在になったわけではありません。しかし、マリヤの信仰から多くのことを学ぶことが出来ます。
マリヤはみ使いから主のことばを聞きます。そのことばはマリヤにとって驚くべきことばでした。それは救い主が自分の身に宿るという信じられないことばでした。確かにそのことばにマリヤは非常に驚きましたが「これはいったい何のあいさつかと考え込んだ」(29節)とある通り、受け止めて考えたのです。ここでマリヤは、神のことばが自分にとって何を意味しているかを知ろうとしています。このことに、マリヤの神のことばに対する真剣な態度を見ることができます。次にマリヤはみ使いのことばについていくら考えてもすんなりと納得いかない中にあって、「神にとって不可能なことは一つもありません。」とのことばを受け入れ、積極的に自分自身を神様に全て委ねて歩みだします。後ろを振り向かないで、周りを見ないで、ただ神のみを見つめて、不安と苦難が待ち構える先を主と共に歩み出すのです。
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