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12月15日 「神は共におられる」(マタイ 1:22、23)

インマヌエル(神は私たちとともにおられる。)これは実に、救い主にふさわしい名前です。この名前の意味することを深く考えたいと思います。

1.はじめから共におられる神・・・救い主がどんなに素晴らしいお方であっても、わたしたちの手の届かないところにおられたなら、その愛に支えられ、その恵みに生かされることはありません。救い主は「共におられる神」と呼ばれますが、じつは神はもとから「共におられる神」なのです。神がおられて、私がいるのです。そして人格的な神は人格的に私たちを創造されました。ですから大切なことは神様と私たちとの交わり(つながり)です。

2.罪びとと共におられる神・・・人が近づけないほどの罪深さの中にまで救い主は来てくださいました。家畜小屋で産まれ、十字架の死をもって終わる主イエスの地上の生涯は人の罪深さがどれほどのものであっても全ての人が救われるために罪ある者と共にいてくださったということです。

3.永遠まで共におられる神・・・救い主はほんの少しだけ私たちを訪れてくださる「訪問者」ではなく、「住人」として、私たちとずっと共にいてくださいます。神はわたしたちのうちに住み、わたしたちは神のうちに永遠に生きるのです。

 この年末、そして新しい年に向かって、「共におられる神」、イエス・キリストにいよいよ信頼を寄せて歩んでまいりましょう。


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「神は共におられる」(マタイ 1:22、23)
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