パウロによるこの手紙は獄中書簡とも言われます。
彼は普通の人なら決して喜べないような状況の中にありました。
それは場所だけではありません。同じユダヤ人から妬みの故にローマ皇帝に危険人物として訴えられ、このままでは処刑される寸前の状況に置かれていたのです。
人生のどん底、行き詰まりとも思える中に彼はいたのです。
しかし、この手紙は別名「喜びの書簡」とも言われます。この手紙の中に「喜び」「喜ぶ」ということばが13回も出てくることからそう呼ばれています。
なぜ、彼はそんなに喜んでいることができたのでしょうか。
それは彼の心の中に喜びの源があったからです。
ローマの権力はパウロの自由を奪ったかもしれませんが、彼の心の中にある喜びを奪うことはできませんでした。
パウロの肉体を鎖につなぐことはできても、そのあふれる喜びを押しとどめることはできなかったのです。その喜びの源とは次の3つです。
1)キリストが十字架上でいのちを捨てるほどまで神は自分(パウロ)のことを価値あるものと見ていて下さるということ
2)神は自分の人生に確かな目的と意味を与えておられるということ
3)神の愛は絶えることなく自分の中に沸き上がり、それが喜びを生み出し続けるということ
十字架の贖いによって示された神のご愛を聖霊の働きによって強くパウロは経験しました。
そしてキリストの愛から私たちを引き離すものはありません。
それは死さえも引き離せません。
キリストのみわざに示された神の愛こそパウロの喜びの源泉です。
そしてこの喜びは尽きることがありません。
その神の愛は現代の私たち一人ひとりにも注がれているのです
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