「たとえ明日この世が終わるとしても、私は今日リンゴの木の苗を植える」これは宗教改革者ルターが語った言葉とされています。
この言葉にこの世の終わりが始まっていることを正しく意識して生きる信仰者の生き方が示されているように思えます。
今日のみことばの中で主イエスは「人の子が戸口に近づいている」(29節)ことを意識するように言っておられます。
それは世の終わりつまり最後の審判とキリストの再臨の時が近いという意味です。
しかしながら、2000年近く前から今に至るまでキリスト者はこの言葉を信じ、生きてきました。
ですからこの世の終わりとはいつ終末が来るのかだけを意味しているわけではありません。
死も、私たちの人生の終末であり、この世において自分が持っている全てのものを失う時であり、この世における自分の営みが無に帰する時です。
そういう死が誰にも例外なく必ず訪れます。
死は終末の先取りであり、私たちに「終わり」があることを意識させます。
しかし主イエスは「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(31節)と語られました。
この言葉によって私たちは全てのものが滅びていくこの世の終わりを見つめつつ、また自らの人生の終わりである死をも見つめつつ、なお展望と希望をもって今をしっかりと生きてゆくことが出来るのです。
それは人が目を見張るようなことでなくて良いのです。ルターはりんごの苗を植えました。
あなたは何をしますか?大切なことは全てを支配されている神様が神を信じる私を愛し,救い、永遠に共にいてくださるということなのです。
メメント・モリ「死を忘るなかれ」。
キリスト者こそ、このことばを前向きに語ることが出来るのです。
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