受難節の時を過ごしております。
今年は新型コロナウイルスのことがあり、意味は違いますが私たちも受難の中を歩んでおります。
そういう中で共に礼拝を持つことが許されていることを感謝しつつ、主に私自身を捧げてゆく礼拝を持ちたいと願わされます。
今日の箇所は主イエスがまさに冤罪に等しい取り扱いを受け、十字架による死刑の判決を受けたその後の場面が書かれています。
当時は十字架の死刑の判決を受けた囚人は、自分が架けられる十字架を担いで処刑場まで歩かなければなりませんでした。
それも他の福音書には、その前に鞭で打たれたと語られています。
鞭で打たれ心身共にへとへとになった身で、なお十字架を担いで歩かされたのです。
この場面に、何人かの人々が登場しています。
一人は「シモンというクレネ人」です。
この人は「いなかから出て来た」とありますから、もともとエルサレムに住んでいた人ではありません。
お上りさんです。
恐らく、ユダヤ人の有名な過越の祭りの時期でしたから、それを祝うために巡礼に来ていたのでしょう。
そしてせっかくエルサレムに来たので町をあちこち見て回っているうちに、主イエスが引かれていくところに出会ったのです。
しかも、たまたまそこにいたシモンは、ローマの兵士たちによって「おい、お前、この十字架をかつげ」と言われて主イエスが担いでいた十字架を背負わされたのです。
これは彼にとってとんでもない災難でした。
しかし言うことをきかないとローマの兵隊に何をされるか分かりませんから彼はいやいやながら、主イエスの十字架を担いで、主イエスの後ろを歩いていったのです。
他にもこの場面に登場している人々がいます。
27節の「大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れ」です。
「大ぜいの民衆」とは13節に出てくるピラトによって集められた民衆のことです。
ピラトが彼らを集めた理由というのはイエスを死刑にしないためでした。
ピラトはイエスに死刑に当たる罪があるとは思っていません。
だから何とかしてイエスを釈放しようとしていたのです。
彼は過越の祭の時に1人だけ恩赦を受けて釈放されるという習わしを使おうとしたのです。
祭司長や指導者達だけならイエスに不利にしか動かないことが分かっているので民衆に来てもらって、流れがイエスを釈放するようになるという作戦でした。
しかし結果的には、この民衆たちが、イエスを「十字架につけろ」と叫び続けたのです。
その民衆たちの声によって、ピラトは止む無く主イエスに死刑の判決を下しました。
ですからこの民衆たちは、主イエスを十字架につけることを求めた人々です。
しかも彼らの多くはイエスがエルサレムにロバに乗ってこられた時、しゅろの木の枝を振って大歓迎をした人たちです。
少し前にはイエスが来られたことを大喜びをしていた人たちが今はイエスを心から憎んでいるのです。
ですから彼らは、悲しんでいるのではなくイエスの最後を見届けようとして、ぞろぞろとついて来たのです。
さらにその民衆たちの中に、「嘆き悲しむ女たちの群れ」がいたと語られています。
この人たちは泣いていたのです。
主イエスが十字架の処刑へと引かれていくのを嘆き悲しみ、涙を流している女性たちがいたのです。
この婦人たちがどのような人々だったのかについては、いろいろな説があります。
一つは、この人々は主イエスに従ってガリラヤからずっと共に旅をし、その一行の世話をしていた婦人たちだという説です。
49節に「ガリラヤからイエスについて来ていた女たち」が主イエスの十字架の死を遠く離れて立ち、これらのことを見ていたとあります。
ここに出てくるのもこの婦人たちだと考えるのです。
しかし他方で、この人たちはいわゆる「泣き女」と呼ばれる人たちであって、葬式など人の死の場面において派手に泣いてみせることによって嘆きを表すことを習慣としていた人たちだったのではないか、という考え方もあります。
十字架の処刑が行われる時に、誰もその囚人のために嘆いてやらないのはかわいそうなので、「泣き女」たちがその引かれていく沿道で泣いてやっていたのではないか、というのです。
そうであれば彼女たちの「嘆き悲しみ」は心からのものではなく、主イエスを信じる信仰のゆえにその苦しみと死を嘆き悲しんでいるのではない、ということになります。
28節で主イエスが彼女らに「エルサレムの娘たち」と呼びかけています。
これがガリラヤの田舎からずっと従って来た婦人達とは考えにくいですし、そのガリラヤから従って来た婦人たちは49節で「遠く離れて立ち」と語られています。
それならその人たちが、主イエスが引かれていくこの場面においては言葉を交わせるほど近くにいるというのは不自然です。
これらのことから、この人たちは「泣き女」だったという読み方の方が当っているようにも思われます。
このように、この箇所にはいろいろな人々が登場しているわけですが、彼らにはある共通点があります。
それは、彼ら彼女たちは引かれていく主イエスの後に従って歩んだということです。
シモンは主イエスの十字架を無理矢理背負わされて、「イエスの後ろから運ばせ」られたのです。
また民衆と嘆き悲しむ婦人たちも、「イエスについて行った」と語られています。
この言葉は、弟子たちが主イエスに「従った」という時に使われるのと同じ言葉です。
つまりここには、主イエスが十字架の処刑の場へと引かれて行った、その主イエスの後に従って歩んだ人々のことが語られているのです。
シモンも、民衆も、そしてこの婦人たちを「泣き女」と考えれば彼女らも、元々、主イエスの弟子ではもちろんありません。
従うと言っても彼らの意志でイエスの後を進んでいるわけではありません。
しかしルカは敢えてそのような語り方をしているのです。
そこに、この福音書を書いたルカがこの場面において語ろうとしていることが見えてくると思います。
さらに言うならばこの時、肝心の弟子たちはだれもいません。
マタイ26:56にはゲッセマネの祈りの後、「弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった」と書かれています。
ルカはここで、主イエスに従う弟子たち、つまり信仰者とはどういう者であるのかそのことを語ろうとしているように思えます。
まずシモンのことから見ていきたいと思います。
彼は先ほども言いましたように、主イエスの弟子だったわけではありません。
おそらく主イエスと会ったこともなかっただろうと思います。
たまたまそこに居合わせたのです。
主イエスがもう十字架を背負う力がない、と兵士たちが判断したその時に、たまたま近くにいたために、彼が選ばれたのです。
兵士たちにすれば誰でもよかったのです。
こいつなら出来そうだ、とたまたま目に入ったシモンが引っ張り出されたのです。
そのようにして彼は、負いたくもない十字架を無理矢理背負わされました。
シモンは最初、怒りと屈辱でイエスを恨んでいたのではないでしょうか?なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、とんだ貧乏くじを引かされた、と思ったに違いありません。
もちろん、前を行くイエスも立っているのがやっとという足取りです。
シモンは怒りはしたものの一歩一歩歩みを進めながら、イエスがこの重い十字架を背負って一歩も歩くことが出来なかったところ代わりに背負ってあげたということで少しは人助けをしてあげたという気持ちになったのではないでしょうか?この福音書の9章23節で主イエスは、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」とおっしゃいました。
その通り、シモンは十字架を背負ってついて行っているのです。
それでもシモンはイエスの持つべき十字架を代わりに背負ってやっているという気持ちであったことでしょう。
なぜなら自分の意志で負った十字架ではないからです。
しかしどの時点か分かりませんが十字架を降ろす時が近づいた時にシモンはこのように思ったのではないでしょうか?「今、私はこの十字架の重荷から解放される。
しかし、これからイエスは十字架に架けられる。
何のために?この人は重荷どころかもっとも苦しい死への道を通られたのだ。」このあたり、どのような変化がシモンの心の中で起こったのか詳細には分かりません。
ただ分かりますのはシモンはここで主イエスを救い主としてクリスチャンになったということです。
それは「クレネ人シモン」がマルコ福音書15:21では彼が「アレキサンデルとルポスとの父」であると語られています。
マルコ福音書が書かれた教会において、シモンとその二人の息子たちがよく知られていたのです。
ローマ16:13には「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。
また彼と私との母によろしく」とシモンの妻がパウロにとって母親のような存在であったことが分かります。
私たちは試練に会う時になぜ自分がこんな十字架を背負わなければならないのか、と思うことがあります。
しかしそこで、その十字架を放り出すのではなくて、「日々自分の十字架を背負って私についてきなさい」という主イエスのお言葉を聞き、自分でも与えられた十字架を自覚的に背負う者となる、そのようにして信仰者となっていくのではないでしょうか。
さて、シモンと同じように、引かれていく主イエスに従ったと語られている人々、それが民衆と嘆き悲しむ婦人たちです。
民衆は自分たちが十字架につけろと要求したイエスの最後を見届けようとしてついて来たのです。
イエスを崇め、ほめそやしたかと思うとすぐに憎しみの心が起きた人たち。
自分の気持ちに正直と言えばそうかもしれません。
しかし弟子も皆逃げたわけですからやっていることからすれば50歩100歩でしょう。
ただはっきりしていることは彼らの罪がイエスを十字架に向かわせたということです。
そういう自覚が彼らにあったでしょうか?この時点ではなかったでしょう。
ただルカは主イエスの後に従う者として彼らを置いたのです。
それは主イエスが十字架上で「父よ。
彼らを赦したまえ。
彼らは自分が何をしているのか分からないのです」と祈られた主イエスのことばに思いを寄せ、やがて悔い改めへと導かれる者がいると捉えているからです。
信仰者の基本とは「私の罪のためにイエス様が十字架におかかりになった」ということです。
言い換えるなら「私の罪がイエスを十字架にかけた」ということです。
最後に、嘆き悲しむ婦人たちのことです。
彼女らは十字架につけられるために引かれていく主イエスのために嘆き悲しみ、泣いていました。
しかし主イエスは、あなたがたが本当に嘆き悲しみ、泣かなければならないのは私の苦しみや死ではない、あなたがた自身と子孫たちのためにこそ、嘆き悲しみ、泣くべきなのだ、とおっしゃったのです。
イスラエルの女性たちにとって、子は神様の祝福の一つの印でした。
ところが、それらの人々の方が幸いだ、と言う日が来ると主イエスは言われるのです。
神様の怒りによる裁きの日には大きな苦しみが襲う、その時には、子供をかかえている人の方がより大きな苦しみを負うことになる、というのです。
31節の彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」かというお言葉はちょっと難しいですが、「生木」とは主イエスのことで、主イエスでさえこのような十字架の苦しみを受けなければならないなら、「枯れ木」であるあなたがたにはいったいどんな災いが下るだろうか、ということを言っています。
神様の裁きの日が来たら、罪人である私たちと私たちの子供たちはどんなに厳しい裁きを受けなければならないか、そのことを見つめ、そのためにこそ嘆き悲しみ、泣け、と主イエスは言っておられるのです。
主イエスへの同情の涙ではなく、自分自身の罪を覚えて悔い改めの涙をこそ流せ、ということです。
自らの罪の深刻さを思い、嘆き悲しみ、その赦しを求めて悔い改めの涙を流すことこそ、主イエスに従っていく弟子、信仰者としての歩みにおいてなされるべきことだ、ということをルカはこの話によって語っているのです。
主イエスは、そのように同情し、涙を流す人々に、「本当に涙を流すべきなのは、私のためではなくて、あなたがた自身のためなのだ。
私の十字架を見つめる時に、そこにあなたがた自身の罪をこそ見つめ、悔い改めて神様の赦しをこそ求めていくべきなのだ」と語りかけておられるのです。
主イエスの悲惨で残酷な十字架の死に、自分自身の罪の結果をこそ見つめるようになること、それが信仰の始まりです。
それは同時に、主イエスの十字架の死によって自分の罪が赦され、救いが与えられていることを見つめることでもあるのです。
クレネ人シモン。
彼は主イエスの十字架を無理矢理背負わされ、主イエスの後ろを、主イエスの背中を見つめながらゴルゴタまで歩きました。
不平不満を最初は覚えたでしょう。
また、十字架につけられて処刑されようとしているこの男はなんと惨めな、可哀想なやつだろうか、と同情したかもしれません。
しかし、主イエスが処刑の場まで引かれていくそのお姿を後ろから見つめながら、その主イエスがつけられようとしている十字架の重さを自分の肩に感じながら歩いたことによって、彼は、自分の、そして人間たちの、罪の悲惨さとその重さを見つめ、感じるようになっていったのではないでしょうか。
本当に嘆き悲しみ涙すべきことは、この人が十字架につけられて殺されることでも、自分がその十字架を背負わされたことでもなくて、自分自身の罪の深さなのだ、そのことを彼は漠然とながら感じ取ったのではないでしょうか。
そしてその漠然とした感覚は、主イエスの復活を経て、主イエスの十字架による罪の赦しと、復活による永遠の命の約束を信じる確固たる信仰へと実を結んでいったのです。
主イエスの十字架の苦しみと死に自分自身の罪の結果を見ることによってこそ私たちは、その主の十字架によって贖われ、解き放たれ、涙を拭われて、先立って歩んで下さる主の後に従って、喜び歌いつつ歩み続けることができるのです。
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