イエスが宣教を開始されたときの第一声は
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)でした。
イエスはその後も、ことあるごとに悔い改めをさまざまな形で教え続けました。
イエスの弟子たちも悔い改めを教えました。
使徒たちにとって伝道とはひとびとを悔い改めに導くことでした。
「悔い改め」とは暗く消極的なことではありません。
むしろ悔い改めは私たちの心の重荷をとりのぞき、心を明るくし、自由にします。
ではどのように悔い改めたらよいのかをペテロが三度、主イエスを否定した場面から考えると、まずペテロは自分の罪深さ、弱さを認めています。
「あなたのためなら死ねる」とまで言い切ったペテロはそのプライドや言い訳が全く出来ないほどに心が粉々に砕かれています。
「プライド」と「言い訳」のあるうちは悔い改めに導かれることはありません。
次にペテロは自分の罪を嘆き、悲しみました。
悔い改めは知的なものだけでなく感情的なものでもあるということです。
自分が犯した罪を知性で、つまり頭で冷静に理解するだけでは足りません。
それを悲しみ、嫌うところまで行かなければ悔い改めにはならないのです。
最後に悔い改めにおいて忘れてはならないことはペテロが「イエスの言われた...ことばを思い出した」ということです。
主イエスはペテロの良さも罪深さもすべてご存知であり、立ち直ったら主に用いられるようにと祈っていてくださるお方でもあるのです。
すべての人が悔い改めに進むことを神は望んでおられます。
他人の「悔い改め」を祈ると共に自ら「悔い改め」に向かい、悔い改めの恵みを味わいたいと切に願わされます。
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