詩篇23篇は「言葉で書かれた絵」です。
これを読み、暗唱するとき、目の前にひとつの風景が浮かんできます。
雲ひとつない青い空、その下にどこまでも続く緑の牧草。
そこに小川が流れ、水面は陽の光を浴びてキラキラ輝いています。
羊たちは、そこで、満腹するまで草を食べ、渇きがいやされるまで水を飲んでいます。
小羊は駆けまわり、疲れたら、安心して眠ります。
この詩篇の最初に
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」と
あるように、こうした情景は満ち足りた人生を象徴するものです。
しかし、牧草がたくさんあり、十分な水があっても、そこが安全な場所でなければ、羊は安心して草を食べ、水を飲むことができません。
羊には羊を守り、導く羊飼いが必要です。
どんなに豊かな牧草や、渇きをいやすのに十分な水があったとしても、羊飼いなしには、羊はそれを楽しむことができません。
ダビデ自身が少年の頃、羊飼いとして見習い的な訓練を受けながら、羊の生存は羊飼いの力量にかかっていることを体験しています。
ですから、この詩篇に書かれていることはダビデの実体験をもとにしていると言えます。
さて、私たちが今生きているこの世はすべてが緑の牧場ではありません。
成功の陰に失敗が待っていたり、楽しみの背後に誘惑が潜んでいます。
安心しきっているところに突然、災難がふりかかって来ることもあります。
私たちには確かな羊飼いが必要なのです。
主イエスは言われました。
「わたしは良い牧者です。
良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)主イエスはそれぐらいの気概をもって働かれたのではなく、実際、羊つまり私たちのために十字架上で死なれ、真の良い牧者となってくださったのです。
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