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9月6日 「人の忍耐と神の忍耐」(ペテロ第二3:8〜13)

今年はコロナ禍、異常な夏の暑さなど忍耐を強いられる日々を過ごしております。

「忍耐」を聖書はどのように見ているのでしょうか?信仰者として忍耐が希望へとつながっていった人として星野富弘さんをあげることができるでしょう。

頭から下は全く動かない中で、口で字を書き、絵を描くことを忍耐に次ぐ忍耐によって習得され、やがて数えきれないほど多くの方々に神の慰めと福音を伝えておられることは周知のことです。

聖書には、忍耐によって約束のものを手にした信仰者のことが、数限りなく書かれています。

ノアがそうでした。アブラハムがそうでした。

ヨセフがそうでした。聖書には数多くの信仰の忍耐を経験した人の生きた証しが満載です。

しかし、どんなに忍耐しても、結果が見えないときもあります。

それでも、信仰による忍耐は決して無駄に終わることはないことを覚えたいと思います。

「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません」(ローマ5:4-5)神は、忍耐を通して、信仰者をみこころにかなうものに作りあげてから、確かな希望へと導いてくださるのです。

最後に、神様は、わたしたちに「忍耐」をお求めになりますが、じつは、神ご自身が、大きな忍耐をしておられることを覚えたいと思います。

キリストの再臨に対して当時も、そして2000年後の今も、「再臨などない」と軽視したり、軽蔑する人が多いのですが、再臨が無いのは「すべての人が救われるように」との神の御心によって、神が忍耐して待っていてくださることをみことばは教えています。神は忍耐によって信仰者を成長させられるのです。

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メッセージ内容(2020年9月6日)
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人の忍耐と神の忍耐.pdf
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