今日の聖書の箇所においてパウロは礼拝について教えていますが2節の最後に「心の一新によって自分を変えなさい」とありますように、礼拝は私たちが神様にあって新しくされる時です。
みことばから礼拝に対する神様のみ心を共に学んでゆきたいと思います。
まず12:1は、「そういうわけですから」という言葉で始まっていますが、「そういうわけ」とはどういうわけなのでしょうか。
「そういうわけですから」というのは、ローマ人への手紙の1章から11章に書かれてあるすべてのことを指しています。
11章までにパウロは教理的な主題を説明します。
1章から3章は人間の罪について、4章から6章は信仰について、7章と8章は信仰者の苦悩と勝利、そして9章から11章ではユダヤ人に対する神の計画が論じられています。
ですからローマ人への手紙は、11章までは、手紙というよりは、まるで論文のようです。
パウロは12章になってはじめて、クリスチャン生活の具体的なあれこれに触れ、ようやく、手紙らしくなります。
なぜ、こんなに長い前置きがいるのだろうと、不思議に思われるかもしれません。
しかし、キリストを信じている私たちは意識するしないに拘わらず自分のしていることの意味をよく知っておく必要があります。
たとえばどうして礼拝するのでしょうか?どうして献金するのでしょうか?どうして奉仕するのでしょうか?「教理」とは、神がどのようなお方で、私たちのために何をしてくださったかを解き明かすものです。
それがあってはじめて私たちは、自分が何をすべきか、何をしたら良いのかを知ることができるのです。
健全な教理理解に基づいて主を礼拝し、崇めてゆきましょう。
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