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10月18日 「キリストに祈られてこそ」(ルカ22:31〜34)

コロナ禍にあって何が私達の信仰生活を支えてゆくのでしょうか?

ペテロの歩み、経験を通してそれを学びたいと思います。

第一に主イエスは私に信仰を求めておられるということです。

主イエスはペテロに知恵や知識、力、権威を求められませんでした。

「あなたの信仰がなくならないように。」とだけ言われました。

究極的に全能のイエスは人間の力を一切必要としないでなそうとされることを成し遂げることが出来ます。

イエスが私たちに奉仕の機会を与えてくださるのは、私たちがそれによって私たちがイエスに力を貸すためではなく、イエスから力をいただくためです。

イエスが、私たちに求め、関心をもっておられるものは信仰です。

第二にイエスは私のために祈ってくださっているということです。

私たちは祈りますがいつも不完全な祈りとなってしまいがちです。

私の現状をいちばん良く理解し、私の心のうちのすべてを知り、私の立場に立って祈ってくれる人、それが主イエスです。主イエスは執り成しの祈りによって私たちの不完全な祈りを完全なものにして下さいます。

第三にイエスは私に使命を与えてくださるということです。

主イエスはペテロが大きな試練に会い宙立ち上がれなくなるぐらい心身共にダメージを受けることをご存知でした。

しかもそれは主イエスを裏切るという致命的なものでした。

しかし主イエスはそのことも見越した上で「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と試練をへた後のペテロに他の兄弟たちを力づけるという使命を与えられたのです。

大きな試練を経た者だからこそ出来る慰めと励ましがあります。主イエスは私たちを用いようとされているのです。

信仰者にとって意味の無い試練はないのです。


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メッセージ内容(2020年10月18日)
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