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1月10日 「実を結ぶ枝」(ヨハネ15:1〜8)


果樹でも花でも、普通私達が注目するのは実であり、花の部分です。

しかし根や幹は養分と水分を吸い上げますが実を実らせるためには枝が重要な働きをします。

聖書にははっきりとイエス・キリストがぶどうの木であり、私達はその枝であると書かれています。

ぶどうの木と枝との関係は切っても切れない関係と言いましょうか特別な関係です。

ぶどうは、他の木とは違って、実を結ぶためにあります。

他の木でしたら、太く、強く育ち、材木や燃料として使うことができますが、ぶどうの木は、細くて弱く、材木にもなりませんし、燃料としても、すぐ燃え尽きてしまいますから、たきつけ程度にしかなりません。

材木や燃料にならなくても、鑑賞用に植えられる木もあり、その枝振りが誉められたり、花が好まれたりしますが、ぶどうの場合は、その枝ぶりがほめられることはまずありません。

ぶどうは実を結ぶために植えられ、植えた人は、実を期待し、その実を誉め、喜びます。

同じように、ぶどうの木につながっている枝、つまり、イエス・キリストを信じ、クリスチャンに期待されるのは、実を結ぶことです。

ヨハネ15:1〜16には「実を結ぶ」「実が残る」と…いうことばが9回も出てきます。

ぶどうの幹に直接ぶどうの実が結ばれることがないように、神は、キリストを信じ、キリストにつながっている枝としてクリスチャンひとりひとりが実を結ぶことを期待しておられます。

主は「わたしはくまことの>ぶどうの木」と言われました。

まことのぶどうの木にしっかりとつながっているならば必ず豊かな実を結ぶと神は約束してくださっています。

多くの実を見ることのできる2021年となるように祈りたいと思います。

 


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メッセージ内容(2021年1月10日)
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