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1月31日 「主イエスを知る」(ペテロ第二 1章1〜4節)


ペテロの手紙第二では、「敬虔な生活」を送ることが強く勧められています。

しかし、「敬虔」とはどういうことでしょうか。

聖く、正しく生きることでしょうか?もしそうなら、イエスの時代のパリサイ人や律法学者はいちばん敬虔な人たちでした。

しかし、イエスは彼らの見せかけの敬虔を強く非難されています。

ローマ1:18に「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されている」とあるように、人間の罪には、不正や不道徳だけでなく、神を神として崇めず、恐れず、従わない「不敬虔」も含まれています。

つまり「敬虔な生活」とは立派な生き方、尊敬される生き方をするというよりも神を神として崇め、神を恐れ、神に従う生き方のことを言っています。

「敬虔な生活」は私たちの強い意志や努力で達成できるものではないのです。

何故なら「不敬虔な生き方」つまり神を神として崇めず、神を恐れない生き方をするのは「罪」だからです。

 

意志力や心がけで不敬虔な生き方を克服できるのであれば主イエス・キリストが十字架に架かる必要はありませんでした。

ローマ5:6に「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました」とあるように、敬虔なお方が不敬虔な者のために死なれたのです。

そして「主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与える」ペテロ第二1:3とあるように敬虔な生活を送るための力は主イエスが与えてくださるのです。

ですから私たちのすべきことはクリスチャンとして立派な生き方をしようというのではなく、主イエスを深く知ろう!キリストをもっと知ろう!ということになります。

 


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メッセージ内容(2021年1月31日)
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