日曜日の朝早く復活されたイエスは、弟子たちに現われ、その手とわき腹を見せました。
ところが、その時、トマスは、そこに居合わせませんでした。
彼は「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言って、他の弟子たちの言うことをすぐには受け入れませんでした。
このことから彼は「疑い深いトマス」と呼ばれることになりました。
「疑い深い人」というと物事を否定的に捉え、不信感をもって人や事象にあたる人に思われがちですが実際のトマスはそのような人ではありません。
例えばイエス様が身の安全が保障されない所に行こうとされた時、トマスだけが「私たちも行って、主といっしょに死のうではありませんか」と言っています。
熱い心の持ち主です。
ただ自分だけが復活の主に出会えなかったことを残念に思っているのです。
しかしそのトマスにも復活の主イエスは会い、「私の傷口に手を当てなさい」とまで言われました。
こうやってすべての弟子が復活の主イエスの証人となったのです。
ヨハネ福音書の最後にトマスのことが書かれているのは私たちのためです。
この時40日間、近くにいた弟子を除いて歴史上、主イエスを見た人はいません。
しかし主を信じる人、主のために喜んで迫害にあう人は増えこそすれ、無くなりはしませんでした。
「見ずに信じる者は幸いです」この主イエスのことばが真実であることの証しではないでしょうか。
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