今日の箇所にはイサクの柔和な姿が描かれています。
少し前に井戸をめぐりペリシテ人とのやりとりにおいてお人好しと言おうか争わないで引き下がったり、井戸を明け渡したりしてイサクの柔和な性質が表れています。
では、イサクはまわりの言うがままになる気が弱くて、弱々しい人だったのかと言うとそうではありません。
実は、彼は芯の強い人でした。
イサクのしもべたちとゲラルの羊飼いたちとの間に争いがあった時、イサクは、自分のしもべたちを引き下がらせていますが、これはリーダシップがなければできないことです。
また、イサクを追い出したペリシテの王アビメレクがやってきた時には、「なぜ、あなたがたは私のところに来たのですか。
あなたがたは私を憎んで、あなたがたのところから私を追い出したのに。」(27節)と、言うべきことをはっきりと言っています。
ですから強さをもった柔和な人と言えます。
イサクばかりでなく、神を信じる者たちには、強さと柔和さが求められています。
争いの中に平和をつくり出していく創造的な力、迫害にも屈しない強い心を、イエス様は私たちに求めておられます。
しかもそれは独善的なものではありません。
神のみこころと他の人のしあわせを願う柔和な人、人の痛みを感じ取ることができるあわれみ深い人であることが求められているのです。
どうすれば、柔和な者になれるでしょうか。
イエス様のもとに行くことです。
主は「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11:29)
「こころ優しく」とは「柔和である」という意味です。
柔和というものは、イエス様のもとにあり、イエス様から受けるのです。
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