イエスの口から出た最初の言葉は「心の貧しい者」ではなく「さいわいである」という言葉でした。主イエスがほとばしる感情を込めて、先ず伝えたかったこと、というより宣言された言葉は「あなたたちは神様に祝福されています」ということばでした。しかもそのことばを聞いているのは自分たちが最も神様の祝福から遠いと感じていた人達でした。主イエスは苦しみや痛み、困難や悩みが人を駄目にしてしまうものではなく、そうしたものも、神によって、幸いに変えられ、祝福となることを知っておられたからこそそう言われたのです。
続けて「さいわいな人」とはどういう人のことであるかが語られます。さいわいを得るために何をすれば良いのかということではありません。その第一が「心の貧しい人」ということです。心の貧しい人というのは経済的に苦しい人のことだけではありません。聖書では、「貧しい人」という言葉は、自分の弱さ、足りなさを知って神に信頼する人々を指すときにも使われます。「心貧しい人」とは、自分自身の、人としての貧しさ、乏しさを知っている人、そのために神に信頼する人のことです。人が本気で神を求めないのは、実は自分の貧しさ、乏しさが分かっていないからだと言えます。
私たちには人がどのように「さいわいに思えること」よりも「神の与えてくださるさいわい、祝福」が必要です。あなたが、様々な問題に取り囲まれていて、「自分ほど不幸な人間はない」と思っていたとしても、主イエスがくださる「祝福」によって、あなたもまたさいわいな人になることができるのです。
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