<説教要旨>
「キリストからの祝福」③柔和な人に マタイ5:1~5
主イエスは何度も話の中で「神の国」とおっしゃいました。私たちは神の国の民であり、主イエスは神の国の王です。この「神の国」は、特定の場所を指して、「ここだ」、「あそこだ」と言うことができるものではなく、「神の国」の王である主イエスがおられるところ、つまり、主イエスを受け入れた人々の中にあります。
主は「柔和な者は幸いです。」と言われましたが、「柔和」という言葉には「無に帰す」「何も抵抗出来ない」という意味があります。それは徹底した無力、絶望を経験することを意味しています。主イエスだけが私たちの経験するどんな絶望、虚無、悲しみに対してもその先にある希望、励まし、慰めを語ることが出来ます。何故なら、十字架の贖いのみわざによってその全てを体験して下さったからです。
主は「わたしは柔和で心のへりくだった者である」とも言われました。主は、この言葉によって、「わたしは、あなたのどのような苦しみ、悩み、そして痛みをも知っている」と語っておられます。また、主は、この言葉によって、「あなたがわたしに従うというのなら、あなたもわたしのように柔和で心のへりくだった者となりなさい」と言っておられるのです。信仰者であっても、心身ともに押しつぶされるような経験をします。しかし、忘れてはならないのは、どんな苦しみも、主イエスにあっては、祝福になるということです。失望や絶望さえも、信じる者には、「柔和な者」になっていくための過程であり、それは「地を受けつぐ」という祝福に変わり、そのたましいは安息を見出すのです。
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