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9月12日「救いを見る」 ルカ2:25〜35


 

聖書は、私たちの地上の限られた人生は、天での永遠の人生への準備であると教えています。

私たちの人生は「春、夏、秋、冬」の四季を通りますが、「冬」で終わるのではありません。

人生の「冬」のあとには天の「春」が待っています。

人生の冬の期間には、天の春に備えるという仕事があるのです。

永遠の「春」への希望を確かなものとするために、人がするべき最善の準備とはどんなことでしょうか?

それは今朝の聖書のことばを使って言うなら、「救いを見る」ことです。

神の救いを待ち望んでいたシメオンは、赤ちゃんのイエスを抱き、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべをみことばどおり、安らかに去らせてくださいます。

私の目があなたの御救いを見たからです」(29〜30節)と言いました。

「私は救いを見ました。これで、私は安らかに死ぬことができます」とシメオンは言ったのです。

「安らかな死」、それは、神の「救いを見る」ことによってはじめて与えられます。

シメオンは、イエスの説教を聞いたわけではありません。

病気をいやし悪霊を追放する力あるわざを見たわけでもありません。

ましてや十字架や復活は、シメオンが生後40日目のイエスを抱いたときから30年以上も先のことです。

なのに、シメオンは赤ちゃんのイエスの中にすでに救いを見ていました。

シメオンの信仰の目は研ぎ澄まされていたのです。

「救いを見る」とはそういうことです。

ご高齢の方々には、イエス・キリストの救いをしっかりと「見る」という大切な仕事が残っています。

キリストの救いを「見る」幸いを体験してくださるよう、心から願い、祈ります。

 


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メッセージ内容(2021年9月12日)
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