<説教要旨>
「聖餐で覚えておくこと」(コリント第一 11:23~26)
聖餐式でわたしたちは何を「覚え」、何を「記念する」のでしょうか。
1. 主の死を覚える・・・聖餐式でわたしたちが覚えるのは、何よりも「主の死」です。主イエスはわたしの罪を背負い、わたしに代わって、罪の代価つまり罪の罰の苦しみを受け、わたしが罪赦されて、神とともに生きることができるために、ご自分の命を差し出してくださったのです。パンを食べ、杯を飲むたびに、この救いの事実を覚え、それを味わうのです。
2. 主の復活を覚える・・・初代教会では日曜日の礼拝ごとに聖餐式が行われていました。聖餐式は礼拝の中心であったのです。主が聖餐を制定された木曜日でも、主が十字架にかかられた金曜日にでもなく、主が復活された日曜日に守り行いました。それは聖餐式が「主の死を覚える」とともに、主が復活されて、今、ここに、教会と共におられることを覚えるためのものだからです。聖餐の時に主は生きておられる、わたしと共におられることを確認するのです。
主の再臨を覚える・・・「再臨」というのは、「再び来られる」ということです。主イエスは十字架によって私たちの罪を贖い、復活し、天に帰られました。主は今、父なる神の右の座においでになりますが、同時に、目に見えない形で教会と共にいてくださいます。しかし、やがて、主イエスは、再び、この世に、見える形でおいでになります。主が再び来られる。これは、主イエスご自身の約束であり、すべてのクリスチャンの確かな希望です。「主の死」がわたしを救い、「主の復活」がわたしを救いのうちにとどめ、「主の再臨」がわたしの救いを完成させてくださるのです。
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