「幸いです」の実際の意味は「祝福を受ける」ということです。主イエスは人がどのような時に祝福を受けるのかという話をされたのです。今回は「あわれみ」と「きよさ」についてです。
1.「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」
あわれみとは聖書の中によく出てくることばで愛情の中の一つの特殊な形です。それは相手の弱さに応じて、自分が歩調を合わせようとする気持ちです。ですから憐れみ深い人になるには何よりも相手の身になって考え行動することが必要となります。しかし、常に私たちは相手の身になって考えることは出来ません。後に続く「その人たちはあわれみを受けるから」ということばが鍵になります。神が自分のような者をどれほど憐れんでいてくださることをどれぐらい感じられるかということと自分がどれほどあわれみ深い者であるかは連動しているのです。
2. 「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」
心のきよい者とはきよい人とはむなしいことに心を向けない、つまり心が二股をかけない人、一心に神を求める人のことを意味しています。そのまま道徳的宗教的にきよいのが理想でしょうがそんな聖人は現実にはどこにもいません。当時の宗教者達はきよさを求めて外側から入りましたが主イエスは彼らの生き方を厳しく否定されました。また心のきよい人が受ける祝福として「神を見る」と言われました。「神を見る」とは非現実的なことで、夢のようなことです。しかし、それだからこそ「神を見ること」は人間の最も切なる願いであり、特に信仰者にとっては真剣に考えておかなければならないことなのです。
礼拝メッセージの音声をお聞きになりたい方はブルーのアイコンをクリックしてください。
容量の軽いデータでお聞きいただけます。
コメントをお書きください