<説教要旨>
今回の「寛容、親切、善意」は、私たちと他の人との関係、つまり人間関係における「実」です。
1.「寛容」は大きな心、広い心という意味です。すべての良い人間関係は、大きな心、広い心で相手を受け入れることから始まりま
す。かつて「寛容」のひとかけらも持っていなかったパウロを神は大きい心、広い心で受けとめ、キリストを迫害する者から、キリストを宣べ伝える者へと変えてくださいました。「神の豊かな慈愛と忍耐と寛容」ローマ2:4をパウロは体験したのです。パウロだけではありません。神に逆らい続けていたり、神に従うのをためらっていた私たちも、神の寛容によって、神に受け入れられたのです。
2.「親切」は人に優しいということよりも聖書では相手の身になってとか相手が用いやすいようにという意味で使われます。主イエスが「わたしのくびきは負いやすい」のことばに「親切」が使われています。主イエスは「私に従うなら魂に平安がある」とおっしゃいました。「親切」とは相手の身になり、相手への優しさ、分かりやすさ、心遣いということになります。
3.「善意」・・聖書で使われている「善意」は、たんに慈善の心を持つということではありません。「真実を求める切実な思い」という意味です。もちろん独善的なおせっかいでもありません。「寛容」も、「親切」も「真実を求める切実な思い」という意味での「善意」に支えられてはじめて、ほんとうの寛容や親切になるのです。
私たちは、神を信じることによって、神のご性質である寛容、親切、善意を聖霊を通していただき、神に従うことによってそれらを育てていくのです。
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