「クリスチャンにとって一番大切なものは何でしょうか?」
パウロはそれは「復活」であると信念をもって断言します。
キリストの復活がなければキリスト教はなく、復活を信じていなければクリスチャンではないと言って良いほどのものだと言います。
パウロは、復活の事実がなければ、クリスチャンの宣べ伝えていることは、それがどんなに立派で、良いことであっても、中味のないものになり、私たちのキリストへの信仰がどんなに真面目で、真剣なものであっても、意味のないものになるとまで言います。
そればかりか、「神がキリストをよみがえらせた」というメッセージは、もし、それが作り話であるなら、神に逆らう証言となり、神を冒とくすることになるとも言っています。
復活が事実であることは他の事実の事柄とは根本的に異なっています。
キリストの復活は、キリストの十字架での死が、私たちの罪のための身代りの死であって、私たちは、キリストを信じることによって罪の赦しを得ていることを保証するものです。
つまり罪の赦しと罪に打ち勝ったしるしが復活です。
キリストが復活されたということは、死が終わりでないことを、私たちに教えてくれているのです。
「キリストは初穂となられた」とあります。
初穂ですから、後に豊かな実りが続きます。
つまりキリストの復活を信じる者たちも、やがて、復活にあずかることができるということです。
キリストの復活は私達の魂の将来に大きく関わってくるのです。
ですから復活の事実を、遠い世界のこととしてではなく、現代の私たちにとって、いや自分にとって意味があり、力のあるものとして生かすことが、私たちの「復活の信仰」なのです。
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