<説教要旨>
今日のみことばにおいて神はイスラエルの民に「主をもっと深く知る」ことを求めておられます。「主を知ること」が信仰者の究極の目標です。
1. 主を知ろうとしない社会
預言者ホセアが活動した時は北王国イスラエルが領土を拡大し、経済が繁栄を極めていました。しかし、その繁栄の陰で、道徳が乱れ、社会に不正がはびこりました。そして何よりも人々は神を求めなくなってしまいました。人々が「富」を追い求め、「神」を忘れるとき、道徳は乱れ、社会から正義や公平が失われていき、世界は混乱するのです。
2. 主を知ろうとしない時代
ホセアが活動した時代、確かに宗教活動(礼拝、捧げもの、儀式)はなされていましたが人々はただ形式的にそれを守るだけで、その意味を考えたり、それを定めてくださった神のみこころを知ろうとはしませんでした。まして、自分を顧みて、悔い改めることもなかったのです。
3. 主を知ろうとしない信仰者
聖書が、「主を知れ」と語っているのが、イスラエルの人々に対してだったことは、不思議と言えば不思議なことです。他のどの民族よりも、どの国よりも主なる神様を知っているはずのイスラエルが実は神を求めていなかったのです。つまり主を知識としては知っていても、人格的に、体験的には知っていなかったのです。本来、主を知っているはずの人々の心に、主はおられなかったのです。
ホセアが直面していた主を求めようとしないは現代の教会と信仰者にも当てはまるのかもしれません。迎えるクリスマスが心からキリストを礼拝する時となりますように。
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