<説教要旨>
「神を愛する者として生きる」(マルコ12:28~34)
聖書には、数多くの戒めがありますが、それは、十の戒め、「十戒」に要約することが出来ます。十戒の前半は神への愛、後半は人への愛を教えています。主イエスは、この十の戒めをさらに要約して、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」の二つにまとめられました。「神を愛すること」は戒めですがこれをイスラエルの民は表面的に守ることにすり替えてしまいました。神の戒めの前提には神が私たちを愛して下さっているという事実があることを忘れてしまったのです。それが罪びととしての私たちの現実です。
先ず神が私たちのことをどんなに愛して下さっているかということを示すために神はイエス・キリストを私たちの罪の身代わりとして十字架に架けられました。「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」ヨハネの手紙第一4:9-10 まず、神が私を愛してくださいました。その愛を受け入れた時、私たちのうちに、神の愛が注ぎ込まれました。私たちは、その愛によって神を愛し、人を愛するのです。私たちが神を愛する愛もまた、神から出たものなのです。イエス・キリストは言葉だけで「神を愛せよ。」「人を愛せよ。」と教えたお方ではありません。このお方を、この愛を、あなたの心に、生活に迎え入れて歩んでまいりましょう。
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