パウロは獄中にあってこの手紙を書きました。
しかし文面からはそのようなことを想定できず、逆に「私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようにお願いします。」と人々を励ましています。
なぜそのようなことが出来たのでしょうか? それはパウロが教会を愛し、教会とは何かということ深く知っていたからです。
パウロは教会の「目的」「権威」「特権」をよく知っていたのです。
それはどういうことでしょうか。
「目的」とは教会が何のために存在するのかということです。
パウロは、「教会を通して、神の豊かな知恵が示されるため」10節ということばで、教会の目的を教えています。
それはキリストによる確かな救いです。
どのような宗教や思想であっても、救いの説明は出来ても救う力も無ければ、いのちを与えることも出来ません。
主イエスのみ「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と言われました。
教会を通じてのみ永遠の計画、神の豊かな知恵が表されてゆくのです。
そのために教会があります。
次に「権威」です。
教会はサタンに対して、悪霊たちに対して、またこの世の力に対して、すでに勝利し、これからも勝利していきます。
主イエスは「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」(マタイ28:18)と言われたのです。
それだけの力を持っておられます。
どんなに教会が小さく、弱々しいように見えてもキリストのからだなる教会は力と権威を持っているのです。
最後に教会に与えられた「特権」についてですが聖書は私たちに、まず、ひとりびとりが、神に近づくように教えています。
それと同時に、教会がひとつになって、ともに神に近づくべきことも教えています。
そのために礼拝、奉仕、交わりがあるのです。
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