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4月3日「主にあって一つとなる」(ヨハネ17章20〜23節)

説教要約

 

4月に入り、キリストの受難と復活を覚える時が近づいています。十字架を前にここで主イエスは弟子たちのために祈りを捧げておられます。この後の弟子たちの裏切り、ペテロの否定、弟子たちの回復等の過程を見るなら、主イエスの祈りこそ、弟子たちの回復につながっていることを覚えます。そして主イエスが特に祈っておられたことは弟子たちの「一致」でした。

 

1)主が祈る「一致」

神が、クリスチャンに与えてくださった一致は、もっと霊的なもの、信仰的なものです。「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」21節 とあるようにクリスチャンの一致は、父なる神と主イエスの間にある一致と同じであるというのです。それは「愛の一致」であり、「志の一致」です。

 

2)「一致」を保つには

 聖書は「一致を生み出せ。」とは教えていません。むしろ、「一致を保ちなさい。」と教えています。一致は、すでに与えられているわけですから一致を壊そうとするものを退けて、一致を守る努力が私たちには必要です。初代教会への外からの迫害は一致と団結を深めるものでしたが福音とは違ったものが教会の中に入ってきて、クリスチャンの一致を壊していったのです。

 

3)「一致」の目的

 クリスチャンが一致を保つのは、いったい何のためでしょうか。主イエスは、「そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」21節と言われました。イエスのおこころの中には、ご自分の弟子たちへの深い思いやり、教会への愛と共に弟子たちを苦しめ、教会を迫害するであろう「この世」に対する愛の思いもあったのです。

 

 


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メッセージ内容(2022年4月3日)
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