説教要約
「天にある宝」(マタイ6:19~24)
自分の宝を地上にたくわえるのはやめ、天にたくわえなさい。 地上にたくわえられる宝は虫やさびに蝕まれ、盗られてしまう危険があります。また、この世の生涯を終えるときには手放すしかありません。一方、天にたくわえられる宝にはその心配はありません。それゆえ、今朝のみことばは天に宝を積むようにと勧めています。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もある。 何を「宝」とするかは、その人の心の在り方と関係しています。しかし、人の心には「罪」という暗闇が宿っているため、本当に大切なことが見えなくなっており、天の宝ではなく地上の宝を求めてしまうものです。天に宝を積むためには心の在り方が健全にされる必要があります。
からだのあかりは目です。
自分自身を見つめたパウロは「私は、ほんとうに惨めな人間です」と言うしかありませんでした。しかし、イエス・キリストを見上げたとき、彼は「主イエス・キリストにある神の愛から引き離すものは何もない」(ローマ8:38〜39)と告白する者とされました。暗闇を解決するのは、ただ「光」だけです。そして、私たちの心を照らす「光」は、神の言葉である主イエス・キリストです。キリストを通して私たちは父なる神の愛を知ることができます。人の心の闇、罪の本質は、この「光」であるお方を忘れ、神を無視して生きていることにあります。
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。
一見すると、「富」は豊かさや安定をもたらしてくれるように思えますが、実際にはそれを失う不安や心配をもたらすものです。私たちに日々いのちを与えてくださり、すべてに満ちあふれておられる神に信頼して歩むことができることこそ、私たちの本当の「宝」です。今週も、この生ける真の神に信頼し、神を愛する者として歩んでまいりましょう。
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