説教要約
エルサレム神殿の近くにあったベテスダの池のそばで38年間もの長きにわたって癒しを求めて、住み着いていた男がイエス様によって癒された話です。「ベテスダ」とは「あわれみの家」という意味です。この男の癒しを通して神様のあわれみとはどういうものか分かります。
この男は一言でいうなら〈イエス・キリストのことば〉によって癒されたということが出来ます。先ずイエス様の「よくなりたいか」という問いかけによって彼の心の奥深くが探られます。人は試練や厳しい状況が長く続くと、「良くなりたい」という思いよりも、あきらめや気落ちした思いが優って他のことに関心が移るものです。この男も「よくなりたい」という思いよりも「他人の振る舞い」にいつの間にか関心が移ってしまっていました。しかし彼はイエス様のことばによって本来の自分の心の奥深くの思い、本音を呼び起こされます。その時にイエス様は「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と言われました。これもまた彼にとっては信仰の応答を求められることばです。「そんな無理なこと」とも言えたでしょうが彼は信じました。そして癒しの奇跡が起きたのです。主イエスは私たちの心の奥深くを見ていてくださいます。主イエスは救い主、癒し主です。主イエスは私たちの心身を見ていてくださいますが最も関心があるのは私たちの魂なのです。
この驚くべき癒しの出来事もユダヤの指導者にとっては「イエスは安息日の戒めを破るふとどき者、神の名を汚す者」としてしか映りません。彼らにとって安息日とは「義務を果たす日」となっていたのです。私たちにとって日曜日は「教会に行かなければならない」という戒律や重荷を背負い込む日ではありません。この日は、仕事や家事から解放されて「教会に行くことができる日」です。教会は、私たちの「ベテスダ」、あわれみの家なのです。私たちはここで一週間の心身の疲れを癒やされるのです。
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