説教要約
今朝の箇所は、イエスが「サマリアの女」と「いのちの水」についてお話をなさったことが書かれています。こんな時間に、こんな場所で、そしてユダヤ人の男性から頼みごとを聞くとは・・サマリアの女にすればあまりにも不思議な出会いでしたがイエス様は魂に飢え渇きを覚えているこの女性をずっと前から導こうとされていたことが分かります。
彼女が持っていた「渇き」はどんなものだったでしょうか。第一に、彼女には、「後悔」や「罪責感」がありました。第二に、他の女性はみな、楽しく人生を過ごしているのに、なぜ、自分だけがこんな惨めな目に遭わなければならないのかという「恨み」や「疑問」がありました。第三に、彼女には、自分が何者か、神がどのようなお方かを知りたいという強い願いがありました。このような渇きは、サマリアの女のような、特別な問題を持った人だけのものではありません。それは、ごく普通のどの人にもある渇きです。こうした求め、問い、また渇きは「スピリチュアル・ペイン」(霊的な痛み)と呼ばれます。
普通はそういった深い魂の痛みは隠しておいたり、特別な人が持つ痛みのように取り扱ったりします。しかしそれではいつまで経っても根源的な問いは残ります。イエス・キリストだけが私たちのたましいの渇きをいやし、痛みに答えをくださいます。どのようにしてでしょうか? 第一に、私たちとたましいの渇きを共有することによってです。主は私たちのすべてに共感してくださいます。第二に、イエスは、ご自分のすべてを与えることによって、私たちの渇きをいやされます。イエスは十字架の上でご自分のからだを裂かれることによって、人のたましいを癒す「いのちの水」をわき出させてくださったのです。第三に、イエスは私たちに聖霊を与えることによって渇きをいやされます。この聖霊はイエスを信じる者すべてに与えられています。主イエスこそ魂の渇きへの癒し主なのです。
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