説教要約
神の武具を身につけて(2)は信仰の盾についてです。聖書に書かれている当時の盾は木製で皮を張り、水分を含ませることによって火の矢から身を守ることができました。信仰の戦いにおいて、神の敵が放つ火の矢にはどんなものがあるでしょうか?
まず第一に使徒たちの時代にはそれは迫害という形でやってきました。次に他人の批判や中傷、噂話も人の心を傷つける矢です。別の火の矢は甘い誘惑かもしれません。他人や自分を喜ばせるために生き、気がついてみると燃え尽いて、人の火の光に踊らされていたということがあります。「疑いの火の矢」も強烈です。
こうした火の矢を防ぐのが「信仰の盾」です。「信仰」という言葉にはふたとおりの意味があります。「信仰の内容」と「信仰の行為」です。
「信仰の内容」というのは、私たちが「キリスト教信仰」という時に使うように、何を信じるかをまとめたものです。使徒信条や例としてニケア信条等がそれにあたります。この信仰は歴史的に教会によって保たれ、現代の私たちに手渡されました。それで、この信仰は「教会の信仰」とも呼ばれます。使徒信条等の「教会の教え」について「これを守れ、そうすれば、これがあなたを守る。」と言われますが、まさにその通りです。教会の教えを守る者はそれによって守られるのです。
後者の「信仰の盾」の「信仰」とは、「信仰の行為」、つまり、私たちの神への信頼を指します。「主はわが巌わが砦わが救い主身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら。」(詩篇18:2)とあるように聖書は、神が信じる者の「盾」であると教えています。「教会の教え」を知り、守ることは大切なことですが、それがたんなる知識に留まって、神への信頼につながらなかったら、私たちは神を「盾」としていることにはなりません。「信仰」と「真実」という言葉は、ギリシャ語では同じ言葉が使わ
れています。信仰は神の真実にもとづいているのです。
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