説教要約
真面目に人生を生きている人、あるいは真面目に自分の人生を考えている人であれば、「自分の人生に意味があるのであろうか?」と考えたりすることがあると思います。聖書では生きる意味や目的を見失っている状態、人間として本来あるべき姿を失っている状態を霊的に死んだ状態だと言っています。たとえ見かけは明るく、能力があり、良いことをしていたとしても生きる意味や目的を見失っているならばそれは霊的に死んだ状態にあるのです。
今日の聖書の箇所には墓場に住んでいるという普通、私たちが会わないような二人の人が出てきます。しかし、よくよく考えてみると基本的には私たちと同じ人たちであることに気が付かされます。それは
1)生きてはいても社会的には死んだ状態、霊的に死んだ状態(人間として本来あるべき姿を失っている状態)にあること
2)自分の力以上のものに支配されて生きていること
3)他の人に危害を加え、また、自分で自分を傷つけて生きている。これらのことは現代でも普通に見聞きしますし例外ではありません。
イエス・キリストはこの人たちをどうやって救われたのでしょうか? 先ずご自分の方からこの人たちのところに来られました。主イエスは「私は失われた者を探して救うために来たのです」と言われました。絶望的な状況になった時に人は孤立感を強く感じます。しかし、その時に主イエスは私たちのすぐ傍におられます。主を呼び求めましょう!次に救われる(罪赦される)ためには代価が必要です。主イエスご自身が十字架に架かり、ご自身のいのちをもって代価を払って下さいました。ですから私たちのすることは自分のための十字架と信じ、感謝することです。救われるために何かをしなければならないのではなく、救われた喜びをもって神のために何かをしたくなるのです。主イエスは「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」・「真理はあなたがたを自由にします」と言われました。現代は次から次と私たちを支配し、依存させる偽りの真理、悪霊の働きで満ちています。救い主イエスだけがはっきりと「あなたは神の前に尊い存在です。あなたの人生には大きく深い意味があるのです」と言ってくださるのです。
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