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11月13日「キリストが与える平安」(ヨハネ14:27)


説教要約

1)心の平安はどこに・・コロナ禍や戦争など世界では様々なことが起こっています。それでも日本にいるとそれなりに平和な日々を過ごしています。しかし現実の社会においてはどのような立場にあったとしても不安が尽きることがありません。聖書は不安について何を教えているのでしょうか?

 

2)イエスも不安を体験された・・イエスは、弟子たちに「心を騒がせるな」と言われましたが、それは弟子たちの不安を何も知らないで言われたのではありません。この時、イエス自身も、ご自分の最期の時が近づいていることを知って、「心を騒がして」おられたのです。他にも心騒がしておられた場面が出てまいります。それはイエス様個人として「心騒がされた」のですがそれはご自身のためではなく、すべての人の救いのためでした。イエス様こそ「罪」と「死」の恐ろしさをご存じだからです。

 

3)キリストが与える平安・・イエスに襲いかかろうとしているものが、たんなる迫害や苦難だけなら、イエスは、こうも心を騒がせることはありませんでした。しかし、イエスが直面しておられたのは、罪と死の力そのものでした。イエスが心を騒がせたのは、ご自分に迫ってくる罪と死の現実に対してだけではありませんでした。罪と死から人々を救い出すという使命を思ってのことでした。イエスが神の御子の力を発揮すれば、罪と死を根こそぎ滅ぼしてしまうことがお出来になったでしょう。しかし、それでは、それとともに人も世界も滅びてしまいます。それでイエスは、人を救い罪を消し去ること、人を生かし死を滅ぼすことを求められました。そして、ご自分が人の罪を背負って、十字架の上で死ぬという道を歩まれたのです。

 主イエスは信じる者に永遠の住まいを約束されました。ここに決してなくならない平安があります。人は、神に立ち帰り、永遠の確かな保証を与えられて、はじめて、ほんとうの平安を得るのです。

 


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メッセージ内容(2022年11月13日)
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