説教要約
今日はティアティラの教会の姿を通して真理のために闘って生きること、キリストのために闘って生きることについて考えたいと思います。
キリストはその目をもってティアティラ教会の隠れた良い行いを見て褒めてくださいました。19節に「わたしは、あなたの行い、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。また、初めの行いにまさる、近ごろの行いも知っている。」とあります。「近ごろの行いが初めの行いにまさっている」というのは素晴らしいことです。ティアティラ教会は決して大きな教会ではありませんでした。その成長は目を見張るようなものではなかったかも知れません。しかし、どんなに小さな試みやチャレンジであっても、それは前に向かうもの、上に向かうものでした。キリストは教会をその大きさや力で評価されるのでなく、その内面がどれだけ成長しているかでご覧になるのです。ティアティラの教会は信仰において成長していたのです。
次にイゼベルと呼ばれている偽預言者が持ち込んだ教えや儀式を黙認あるいは許していることを叱責されています。しかし彼らと闘うようにと主はおっしゃらないで「ただ、あなたがたが持っているものを、わたしが行くまで、しっかり保ちなさい」(25節)とだけ言っておられます。伝えられた真理をしっかりと保っていること、主はそれを教会に求めました。教会を惑わし、破壊し、踏みにじろうとする者を、キリストはその「真鍮の足」で踏みつけられます。それと共に、キリストは信じる者にも真理に堅く立つ「真鍮の足」を持つようにと教えておられるのです。それは主のために何かをするための足というより、サンダルがしっかりと足にフィットしているように福音にふさわしく生活すること。それが真理のために闘うことになるのです。
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