説教要約
前回、この手紙の著者であるヨハネは、父なる神、御子イエス・キリストとの交わりのうちに「永遠のいのち」があると述べていました。それに続いてヨハネは「罪」の問題をとりあげています。それが正しく扱われないなら、神との交わりが損なわれ、喜びが奪われてしまうからです。罪の問題を解決する術は私たちの内にはありません。ヨハネは、神は「光である」、「真実で正しいお方である」という2つの点から、罪の問題を取り扱っていきます。
1)神は光であり、神には闇が全くない ヨハネは2:9〜11で「光」を「愛」と、「闇」を「憎しみ」と結びつけています。私たち人間の心は複雑です。「光」を求めているのに「闇」を宿し、愛そうと思っているのに憎しみを芽ばえさえてしまうことがあります。しかし神様の御心にはそのような闇は全くありません。別の表現をするなら、「神は愛であり、神の愛は完全」なのです。
2)神は真実で正しいお方 私たちの罪が赦され、その問題が解決するのは、ただ神様の真実と正しさの故です。私たちの力や正しさによってではありません。神様は私たちに救いを与えるという約束をしてくださいました。たとえ人間が神の約束を守らず罪の道に進んでいても、御子イエス・キリストの十字架という大きな犠牲を伴う救いの約束を果たし、神様の真実と正しさを示してくださいました。そして、その救いの約束自体が神の愛に満ちたものでした。
罪の告白は、神を信じ、その神の真実に立つときに意味があるものです。
結び:私たちを照らす光 人は、たとえそんなつもりがなくても、神や兄弟、周囲の人々よりも世にあるもの(2:15)を優先してしまうことがあります。神また主イエスとの交わりを通して私たちの心が神の愛に照らされるまで、私たちは愛において暗闇の中にいました。暗闇の中にいたので、愛の対象や、愛し方を間違え、すれ違いが起き、ときに憎しみにまで発展させてしまうことがありました。神や人をうまく愛せないところに、私たちの罪の悲しい現実があります。神様はそんな私たちにキリストの十字架を通して愛を教えてくださっています。私たちを照らす光、それは神の愛です。その光の中を歩みましょう。
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