説教要約
今日は7つの教会の最後、ラオディキアの教会に送られていることから学びます。フィラデルフィアの教会に対しては称賛のことばがあったことと対照的にラオディキアの教会に対しては叱責のことばだけが告げられています。
1)神はあなたをずっと呼んでおられます。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたいている。」(20節)とあります。「わたし」とは、イエス・キリストのことです。この「戸」とは教会の扉のことです。イエス・キリストが家(教会)の外から扉をたたかれているのです。それはつまり本来、家の中にいるべきお方が外に締め出されているということです。誰が締め出しているのでしょうか? ラオディキアの教会の人たちです。この町は産業もあり、人も勤勉でしたので非常に栄えていました。しかしそれがいつのまにか人間中心主義、つまり神は必要でない、あるいは神に頼らなくても良いといった考え方になっていたのです。それに対して全てを治めておられる神に立ち返るように神は悔い改めを迫っておられるのです。
2)神は呼びかけに答えるのを待っておられます。
教会の中にいる者たちに主イエスは、「わたしを迎え入れなさい。」と、その心の戸を叩き続けられます。おそらく「ドーン、ドーン」と強く叩き続けられていると想像します。その戸を叩く音こそ、御霊の声、聖霊の語りかけです。「ですから、聖霊が言われるとおりです。『今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。』」ヘブル3:7とあるように私たちは、御霊の招きを拒まないように注意しなければなりません。「聖霊が言われる」というのには、「神が言われる」という以上の重みがあります。「聖霊が言われる」というのは、聖霊をいただいているクリスチャンに語り続けられている、直接的で、無視できない招きをさしています。神は聖霊によってあなたの「心の扉」を叩き続け、あなたの応答を待っておられるのです。
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