説教要約
イエスが十字架に架けられるまでに今日の場面には3人の登場人物が出てきます。ピラト、バラバ、クレネ人シモンです。特にシモンのことを取り上げたいと思います。彼は田舎からエルサレムに来ていた言わば“お上りさん”です。ここで彼はイエスが担いでいた十字架を代わりに自分が担がされるという想定外の事態に巻き込まれました。エルサレムで過越の祭を楽しもうとして遠くからやってきたシモンにとって、死刑囚の代わりに十字架を背負うなどというのは、まったく、降ってわいた災難でした。けれども、このことは彼の救いとなったのです。
イエスはかつて弟子たちに言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」ルカ9:23しかし、十字架の側にまでついて行ったのは母マリアと弟子ヨハネ、またマリアの姉妹とマグダラのマリアだけでした。他の弟子たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまっていたのです。そんな中でシモンは強制されてですが、十字架を背負って、イエスのあとに従ったのです。
シモンは自分が背負っている十字架が何を意味するのか、その時はわかりませんでした。しかし、あとになって、その十字架が、神の御子が人類の救いのためにご自分を献げられたものであることを知りました。
マルコ15:21には、このシモンは「アレクサンドロとルフォスの父」と紹介されており、「ルフォス」の名はローマ16:13にローマ教会のメンバーとして出てきます。シモンは、一家をあげてキリストを信じる者となり、キリストに従う者となったのです。
イエスは、いつでも私たちの前を歩んでくださいます。苦しみ、悩みの道であればあるほど、先に進んで、道を拓いてくださいます。私たちはイエスの後をついていくのです。イエスは、従う者を必ず守り、導いてくださいます。
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