説教要約
今日は放蕩息子の兄の話です。彼も財産をもらいましたが家を出ないで父のもとに留まり、そこで働いていました。世間の人々から見たら、弟とは正反対の、立派な孝行息子です。その兄が一日の畑仕事を終えて帰ってみると、家では盛大な宴会が行われています。どうしたのかと僕に聞くと、「あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。」とのことです。これを聞いた兄は、怒って家に入ろうとしなくなってしまいました。
何をそんなに怒っているのでしょうか? 兄息子の発した言葉から分かるのは実はこの兄も、弟と同じように、父のもとにいることを喜んでいないということです。本当は自分も弟のように自分の好きなように自由に生きたかったのに、我慢して、頑張って生きてきた。だからその見返りがあって良いはずである。ところが放蕩の限りを尽くして自業自得のように落ちぶれて帰ってきた息子を父が喜び迎えたことによってその思いは打ち砕かれ、自分の今までの努力や我慢は一体何だったのかと怒りが起こり、自問自答するのです。
そして父のいる家に入ろうとしないのです。その姿は彼もまた帰るべき家を失っているのです。愛し合い受け入れ合うのではなく、努力や我慢によって維持され、それに対する見返りを求めていくような場所はもはや家庭、ホームではありません。家に留まっていながら、兄がこのようにホームを失ってしまったのは、弟と同じように彼も、父の愛を見失っていたからなのです。父の愛、すなわち神の愛に満ちる場所こそ真実のホームであり、神は一人ひとりをそこに招いて下さっています。そこに入るためには行いや頑張りでは救われるのではなく、ただ我が罪のためにキリストの十字架があることを信じる信仰と悔い改めが求められているのです。
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