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5月21日「ありのまま愛されているから」(マルコ 1:14〜15)


説教要約

 

「自己肯定感」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。「自己肯定感」が強い人は、主体的で前向き、他の人の意見も尊重できる余裕のある人になりやすいのだそうです。ある記事では、自己肯定感とは「ありのままの自分を認め受け入れる感覚」であると説明されていました。10年ほど前、「ありのままで」という歌が流行した際、その歌を耳にするたびに「本当にありのままでいいのだろうか」という疑問が心の中にうかんでいたことを思い出しました。

今朝のみことばは、イエス様が、世の人々に向けて語った最初の言葉です。悔い改めを勧めるこの言葉は厳しい勧告や叱責のようにも思えます。しかし、聖書全体のメッセージとイエス様がなされたことを思うとき、そこに込められた神様の、私たちへの大きな「愛」が見えてくる思いがします。

「時が満ち」は、神様にはご計画があり、あらかじめ定めておられた時があったことを示しています。それは人のための救いの計画でした。その計画によって「神の国」が人々に近づいたとイエス様は言われました。「神の国」とは、神の愛のもとに人々が憩う所で、聖書が語る「天国」と考えて差支えありません。聖書は、自らの罪のゆえに、この楽園から離れて迷い出てしまった人間を、神がいかに愛しておられるのか、そしてその人々をご自分のもとに連れ戻すために神様が何をしてくださったのかを、私たちに教えてくれています。それが「福音」(良き知らせ)と呼ばれるものの内容です。

神様は「ありのまま」の私たちを、値なしに愛してくださっています。その意味では私たちは何も飾る必要はなく「ありのままで」よいのです。しかし、そのように愛されているからこそ、人は神の愛のもとへ「立ち返る」べきだというのが聖書の教えです。「悔い改め」とは、神の愛に応え、その愛の中に生きる素晴らしい恵みの道へと生き方の向きを変えることです。主イエス・キリストは、私たちを素晴らしい神の愛のもとへと招くために来られたのです。

時が満ちて、神の国は近づきました。悔い改めて福音を信じましょう。

 


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メッセージ内容(2023年5月21日)
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説教「ありのまま愛されているから」.pdf
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